ここが私のふるさとです。

2008年11月06日 09:25

長野を後にした私たちは
仙台に帰ってきました。
私の仙台帰省シリーズ
最後のお話し。

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まずは、長野旅行に行かず
留守番をしていた父が豪華
郷土料理を作ってくれました。















▲松島産 生牡蠣            ▲松前漬け



手作りのイカの塩辛。
などなど、故郷を思い出す味わい
深いものばかり。
そして、極めつけは・・・












朝から指先を真っ黒にしながらむいてくれた
栗のごはんと、芋の子汁。
以前から、料理を作ってくれる
父でしたが昔は「男の料理」の
感じでした。しかし、久々に料理を食べたら
丁寧さが加わって、同じ人の料理とは
思えないくらい絶品でした!

よく考えたら、こんなに手の込んだ料理を
作れるってスゴイね☆
父さん、ごちそうさまでした。


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そんな真心溢れる料理を食べた次の日、
学生時代の友達と思い出巡りに行きました。

それは、松島。

学生時代を思い出すたび
切っても切れない場所が
松島。
正確に言うと松島よりさらに北にある
「奥松島」地域なのですが。
福祉の大学に在籍していた私は
奥松島の野外活動センターで
ボランティアをしていました。

春先には最大24名宿泊用の大型テントを
30張りくらい設置し、秋にはそれを撤収。
夏の間は、その野外活動センターに訪れる
利用者の方々の引率で泊り込むという
ボランティアサークルに所属していました。
とはいえ、私はそんなサークルがあまり
好きではなく、だからと言って辞める勇気も無く
ダラダラと続けていました。
社会人となった今、そんな無責任さに
昔の自分をあきれて振り返ってしまいますが
それでも、その頃の仲間達は
変わらず、バカな笑顔で迎えてくれました。
    


私たちだけのプライベートビーチ。
 

宮城の海は、白っぽく懐かしい光を放ってました。
波打ち際で砕けた水が、ぎゅっと砂浜が吸い込んでく。
散々、水分を含んでいるはずなのにそれでも砂浜は吸い込んでく。飽きもせず。
波のように繰り返す日々を、飽きたと嘆いて
やり過ごす人間は、私は、つまらない生き物だと
思ってしまう。

友人と私は、浜辺に座り、
時を忘れて話し込みました。
つまらない生き物の、大切な思い出を。
大切な思い出と、これからのことを。


深呼吸をすれば、ほのかに磯の香り。
道端には、無造作に牡蠣の貝殻。
あぁ、間違いなく、ここは私のふるさとだ。

あの頃の友達は、母親になっていて
あの頃より友達は、地元の道路を詳しくなっていて
あの頃より友達は、土地の言葉をしゃべるようになっていた。
会えなかった時間の長さを思い知る。

それでも、変わらず隣で笑う。
変わっているようで、何も変わっていない。
私のともだち、私の家族、それが私のふるさと。


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