手紙を書いたり送ったり。

2008年06月15日 16:10

ホウオウボクを眺めたあの日から、
頭の中にホウオウボクがどっしり根を張って、
なかなか頭を離れません。
どうにかこれをカタチにしたいと思い始めました。

気づけば、もうすぐ父の日・・・。
私がいつも不器用な手先で作り出すお遊びの
一番の理解者であり、応援団であるうちの両親に、
父の日に合わせて、ホウオウボクをモチーフに
サンキューカードを作ろうと思い立ったある夜。
何年か振りにはがきを買いに行きました。
そして、折り紙を使って貼り絵をしようと、
はがきのキャンパスとしばしにらめっこ。

 

まずは茶色い折り紙ではがきの中央に
ドテッと木の幹を貼り付けます。ふーむなかなかゴッツイ木の幹だ・・・







 
花咲か爺さんのように枯れ木に折り紙を貼り付けて、花と葉を咲かしていきます。
切っては貼って、貼っては切って、時計の針は夜中を回っていました。雑な感じが否めませんが、そこは手作りの良さとしちゃいましょう。扇風機を回すと紙が飛ぶので、扇風機を止めて汗をかきながらの作業です。見た感じ、ホウオウボクかデイゴか分からないけど、私がホウオウボクと言えば、もう、これはホウオウボクなのです。




 「手紙を書いた。」
「メールをつくった。」
ワタシ用語かもしれませんが、メールは「書いた」ではなく、「つくった」と言うことが多いです。そうか、メールは書くんじゃなくてつくるものなんだと改めて思いました。
もちろん、メールはタイムリーだしポストを探さなくていいし、手元から相手までダイレクトに写真付で届きます。
実に便利、もう手離せないのは事実。

でも、陳腐な言い回しだけど、はがきや手紙っていいな。遠ざかってただけに初めて気づきました。はがきを買う、書く、送りに行く。時にはポストを探して行ったり来たり。すごく手間がかかるけどそのプロセスを踏んでる間に、手間をかけている間に、送り手のことを考える時間ができます。ひとつひとつの行動に意味がある。

欲張りだけど手紙とメールを使い分けられたらサイコウデスネ。


しかしながら、何と言っても、手紙の良さは手書きだから、
完成した作品はたった一枚しかないということ。
自分の手元に残しておきたい~って思うものを、
その想いを詰めてエイっとポストに押し込んで、
相手に届けてあげたら送り手の気持ちが伝わらないわけがない。
メールには無いオマケ付き。
はがきを出しに行きながら散歩したら、夕焼け空を見つけました。
はがきのおかげでまたひとつオマケを見つけました。





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